第8回 技術講座「血清蛋白像から何がわかるか」
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血漿蛋白分析技術の進歩
血漿蛋白分析技術の進歩
生化学的方法
チセリウスEP
濾紙・セア膜EP
自動分析
免疫電気泳動
薄層ゲル濾過
SRID
標識免疫測定
(RIA,EIAなど)
形態学的方法
光顕
組織化学
電顕
免疫蛍光法
リンパ球検査
Flow cytometry
最初に手がけたのがルーチン分析法の開発、改良であります。鉄道病院に勤務しましたときにまずチゼリウス電気泳動というのが行われておりまして1週間に2件から3件しか血清蛋白分画検査が出来ませんでした。当時電気泳動のパイオニアの一人であります東京医科歯科大学の宮本教授が鉄道病院の検査部を指導されておりましたので伝統的に血清蛋白が盛んに行われていたのも私にとって有利な環境でありました。
しかしチゼリウス電気泳動装置ではとても多くの検体をこなすことが出来ませんので、濾紙電気泳動装置を導入することに致しました。当時は国鉄はまだ経済的にたいへん豊な時代でありましたので特に中央鉄道病院というのは、国鉄本社直結でありました為に、私の説得を受け入れていただきまして、最新型の懸垂型濾紙電気泳動装置一式を直ちにに購入して頂きました。当時は濾紙電気泳動装置も水平型のもの、特に日大生化学教室のモデルが圧倒的に多かった訳でありますが、慈恵医科大学の阿部前学長など、一部が懸垂型を取り入れられていた時代であります。私は懸垂型の濾紙電気泳動装置の特長を生かすということもありましてそれをまず導入致しました。
それからどうしてそれを臨床的に利用するか、ということで色々工夫していった訳でありますが日大に移りましてからは、セルロースアセテート膜電気泳動、特にオキソイドが出始めていたころでありますから、日大で早速分析パターンの綺麗なセルロースアセテート電気泳動法に切り換えまして、当時医局員の一人でありました青木講師がこの点に大きく関与致しましたし、勿論河野均也教授それから橋本すみ子技師が当時たいへん若々しく、今でも若いですけれども、活発にご協力頂きました。
そして免疫電気泳動法を鉄道病院にいち早くルーチンに導入することをやりました。当時は免疫電気泳動法を行う機関というのは、昭和30年代後半ですから、今は亡くなられました松橋直先生の東大血清学教室と慶応大学の内科のグループが手がけていただけであります。もちろん研究的には使われていましたが、いわゆる臨床例を広くスクリーニングするという意味では総合病院としては国鉄中央鉄道病院にいち早く導入致しました。もちろんこれも国鉄本社の絶大な支援があって免疫電気泳動装置を導入することができたこともあります。
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