第10回 記念講演「DRG/PPSとELP診断技術」(12)


わが国での検査費支払方式の変遷(1)


わが国での検査費支払方式の変遷

  • 1948年 「保険手帳」初版

  • 1960年 日医「臨床検査指針」
        今日までの基本となっている

    国民医療費にしめる検査費の割合
        10年ごとに約4%ずつ増加(1980年代まで)
         1965 - 3.9% ; 1970 - 6.6% ; 1975 - 8.0% ;
         1980 -11.0% ; 1984 -12.6% ; 1985 -12,5% ;
        1990年代以降はほぼ11%に停滞
         1990 -11.2%

  • 1981年 検査料の包括化(マルメ方式)始まる
        自動分析を意識した臨床化学検査
        甲乙表一本化される

  • 1983年 老人診療点数表公布

  • 1986年 血液検査、化学検査のマルメ
        内分泌検査に”不当な検査実施料”
 その中で出てきたのがDRG/PPSという支払方式であります。今度は検査の側から考えてみることにします。

 実をいうと1948年に厚生省から保険医手帳が初めて出版されました。その保険医手帳というのはこの手帳に沿った診療をして下さいということで、戦後のどさくさでたいへん医療の提供もままならなかった時代ですけれども、とにかく従来の保険制度を生かしながら、なんとか、良いサービスを国民に提供しようということであります。この保険医手帳の中に検査料とか何とかいうことが書かれています。
 1960年、先ほどいいました国民皆保険制度が成立するという時点で、日本医師会が臨床検査指針というのを出しまして、これには臨床病理学会のパイオニアの先生方が関与しております。私はまだアメリカにいましたので、経緯は分かりませんが、そこで臨床検査指針というのが臨床病理学会の先生方の参画を得て日本医師会がまとめました。その検査の分類、点数のつけ方が、今までずーっと30年基本になっている訳です。

 ですから新しい革袋は出来てないので、古い革袋を破れそうになると繕って、破れそうになると繕ってということで今はもう、いつどこから中のおいしいお酒が洩れだしても、不思議でないような状態になっているということであります。

 そこで国民医療費に占める検査費用の割合は10年毎に4%づつ1960年以降増えて行きました。これは1980年代も同じです。一時、一番高かった時期が12%強まで上がったことがあります。しかしそれを界にして、1980年代は医療費を適切な形で使うという方針、かっこ良いですが、一言でいうと医療費を抑制するという方針のもとに、検査費用も総医療費の10%程度に抑えられてきている訳です。その範囲内で今動いています。その10%のうち2/3が検体検査で、1/3が放射線、内視鏡、臨床生理学的な検査ということになります。

 1981年にいよいよコストを考える政策が入りましたので、検査科のマルメが始まりました。自動分析装置の導入を意識して簡単にまとめてやれるものはうんと安くしてしまえということで、その方針が広まって来ましたし、昔は診療所と病院とで検査点数も違っていましたし、保険報酬の支払の仕方も違って甲乙に分かれていましたので、それを一本化して診療所も病院も同じ報酬を支払うということになります。
 1983年には先ほどお話したように、老人保険法がスタートしまして老人医療のための検査点数がスタートしています。
 1986年にかなり大がかりなマルメ方式が血液検査と化学検査に導入されました。特に内分泌検査については我々には相談ありませんで、かなり学問的に理解できないような不当なマルメが行われました。それを色々クレームを申し入れましたので、同じその年度に2回改訂がされるという異例の措置がとられたこともあります。



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