第10回 記念講演「DRG/PPSとELP診断技術」(10)


わが国での医療施策の変遷

 そこで我国の医療の変遷を少し振り返ってみますと、実際は明治時代にドイツの社会保障制度を基本に導入致しました。というのは明治時代に東京帝国大学が発足しました時に、明治政府はドイツ医学を日本に導入するということを決定しましたから、従来あった漢方医学、イギリス、オランダ医学をほとんど無視してドイツ医学を導入した訳です。
 従って保険制度も最初はドイツの医療保険制度を加味してそれにほぼ倣った形で導入されています。しかし本格的な近代的な医療制度が整備されたのは戦後であります。


わが国での医療施策の変遷

  • 1960年代 医療の供給体制の整備
        国民会保険制度の導入

  • 1970年代 医療の質の向上 Quality
        1973年 老人医療費の無料化

  • 1980年代 医療費の効率性を重視
        1981年 医療費適正化対策導入
        1983年 老人保健法の創設(定額一部負担)
        1983年 健保本人の1割負担

  • 1990年代 Costを考慮したQualityとAccessの改善
        次々と関連法の改正が行なわれる

        1995年 「高齢者保健福祉推進十ヶ年計画」
         (新ゴールドプラン)
        1997年
         厚生省「在宅医療の推進に関する検討会」報告書

  • 21世紀 包括的保健・医療・福祉の体制
     「医療保険制度抜本改革」法案審議予定
 1960年代は医療へのアクセスを整備しよう、いつでも、どこでも、誰でも基本的な医療を受けられる体制を作ろう。そして1961年に国民皆保険制度が成立して、殆ど100%の国民が色々種類はありますが、医療保険でカバーされました。
 1970年代は医療の質を改善しようと、劇的な経済成長に合わせてどんどん検査室も検査が増えましたし、検査室の定員も増えましたし、器械もどんどん新しいのが入りました。自動分析装置も導入された時代です。老人医療の無料化も導入されました。あまり高齢者も多くなかった訳ですし、劇的経済成長していた時期ですから、どんどん医療の質が向上致しました。検査室も患者さんが増えなくても、年間15%から20%づつワークロード(仕事)が増えていった時代です。ところが1980年代になってみたら国民総生産の増加率よりも総医療費の増加率の方が上回った。このままではたいへんなことになるという訳で医療費の効率性を重視するコストを考える時代に入りました。
 この間にいろんな点で、保険法の一部改正がありました。

 1990年代になるとコストを考えた上で医療の質、クオリティとアクセス、提供の仕方を考えて行きましょうということで21世紀に向けた新しい医療のシステムの中間報告が出た訳です。いずれにしても、一言でいうと、基本的な医療は保険でカバーしますけど、ちょっと贅沢な部分は自分で払いなさいという方針が決まった訳で色々な法律の改正が行われた訳です。
 そして現在、21世紀に向けた包括的保健・医療・福祉の体制を見直すということで保険制度の抜本改革の法案が審議されている訳です。その途中で銀行が潰れるということになってそれどころではなくなりましたが、今ちょっとスピードが鈍っているわけですが、将来に向けた審議が行われています。



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