ELP診断技術フォーラムの記録

第1回 特別講演

病態スクリーニング検査としての
血清蛋白分画の意義


自治医科大学臨床病理学教授 河合忠

司会 自治医科大学臨床病理学教授 櫻林郁之介


 それでは私幹事ということで、河合先生の今度の特別講演の司会をさせて頂きます。個人的なお話を申し上げますと、河合先生の司会をしましたのは、20年以上のお付き合いの中で、今日が始めてでございまして多少緊張しております。今日の特別講演は「病態スクリーニング検査としての血清蛋白分画の意義」ということで、約1時間の講演を予定しております。

 恒例によりまして、河合先生の略歴をここで述べさせて頂きます。河合先生は昭和30年3月に北大(北海道大学)医学部を御卒業になられ、インターンを終えられた後、31年から37年までアメリカに留学されました。ハワイ大学、マイアミ大学に留学されて、非常に数少ないアメリカの臨床病理の専門医のボードを取られている先生であります。昭和38年から昭和41年までは日本に帰られて、国鉄中央鉄道病院に勤務されて、同時に順天堂大学の非常勤講師もされておりました。昭和42年から日大の臨床病理、このときは土屋俊夫教授が主任教授でありましたが、その日大の助教授に成られております。昭和49年まで勤めておられます。昭和47年に日大の臨床病理の教授に昇格されて、この時には、まだ30代の教授が誕生した訳です。昭和49年になりまして、自治医科大学の教授に就任致しまして、同時に、学長補佐会議のメンバーでもあります。昭和61年に臨床病理学会の会長に成られ、現在も引き続き務めておられます。又同時に世界臨床病理学会連合(通称WASP)の理事に30代から成っておられまして、昭和55年に事務総長に就任し、現在も務めておられます。そういう意味で、世界的な名声をもった先生である事は皆様ご承知のことであります。

 この血漿蛋白に関しまして、ちょっと略歴をお話し申し上げますと、昭和43年に第8回の電気泳動学会の学会賞(現在は児玉賞と呼んでおります)を授賞しておられます。昭和43年から44年にかけまして例の有名な「血漿蛋白」という非常に分厚い本を著しまして、一躍「血漿蛋白」の名でもって日本全国に名が知れ渡った訳です。その本が昭和50年に”Clinical Aspects of the Plasma Pfotein”という本に翻訳されまして、この時「日本翻訳文化賞」という賞を授賞されております。そういう意味で、勿論臨床病理の専門家でありますが、血漿蛋白一筋に河合先生はやってこられた訳です。それでは河合先生よろしくお願い致します。



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