1930(昭和 5)年 | Tiselius.A.が電気泳動装置を用いた血清蛋白の不均一性の研究を発表した。これを機に、電気泳動を用いる血清蛋白研究の機運が高まって行った。 |
1937(昭和12)年 | Tiselius.A.が電気泳動装置を発表した。Tiselius電気泳動法の始まりである。 Konig.P.が濾紙を支持体とした水平型電気泳動装置を用いて、蛋白質の研究を開始した。濾紙電気泳動法の始まりである。 |
1957(昭和32)年 | Kohn.Jがセルロース・アセテート膜(セ・ア膜)電気泳動法を発表した。これにより、濾紙電気泳動に代わる血清蛋白分析法の基礎が築かれた。 |
1962(昭和37)年 | 小川 先生(国立遺伝子研究所)がKohn先生を訪ね、セ・ア膜電気泳動法を研究、習得して帰国した。 |
1963(昭和38)年 | 常光セ・ア膜電気泳動装置を平井先生(東京大学医学部生化学助教授)に試供した。(常光) |
1964(昭和39)年 | 国産初のセ・ア膜セパラックスの開発に成功した。(富士写真フィルム・常光) |
1965(昭和40)年 | セ・ア膜電気泳動法が普及するにしたがって、標準操作法の制定が必要になった。小川先生の原案を元に、平井先生、阿部先生(東京慈恵会医科大学)らが検討し、承認された。 |
1966(昭和41)年 | 第1回セ・ア膜電気泳動講習会が京都で開催された。 |
1975(昭和50)年 | セ・ア膜セパラックス−Sを開発した。(富士写真フィルム) |
1978(昭和53)年 | 全世界初の全自動電気泳動装置AESを開発した。(オリンパス光学) |
1981(昭和56)年 | 100検体/時間の処理能力を持つ全自動電気泳動装置CTE−500を開発した。(常光) |
1984(昭和59)年 | 電気泳動学会はポンソー色素検討委員会を設立し、色素検定法を定めた。 |
1985(昭和60)年 | 世界的に普及しているザルトリウス膜(ドイツ)が塗布位置を変更した( γ位の後)。従来、γーグロブリンの分離を良くするため電気浸透現象がある膜が良いとされてきた概念を打ち破った新しい膜が登場した。 |
1986(昭和61)年 | セ・ア膜を透明化しない測定法による、超小型全自動電気泳動装置CTE−150を開発した。(常光) |
1989(平成 元)年 | 電気浸透現象がゼロに近く、パターン上に塗布位置が無いセ・ア膜、セパラックス−SPを開発した。(富士写真フィルム) 高速電気泳動(15分)を用いた200検体/時間の処理能力を持つCTE−5000を開発した。(常光) |
1993(平成 5)年 | CTE−5000に病態解析システムを搭載。(常光) 100検体/時間の処理能力を持つ完全自動化システムCTE−1000を開発した。(常光) 65検体/時間の処理能力を持つ完全自動化システムCTE−700を開発した。(常光) |
1995(平成 7)年 | 213検体/時間の処理能力を持つ完全自動化システムCTE8000を開発した。(常光) |
2001(平成13)年 | 266検体/時間の処理能力を持つ完全自動化システムCTE9000を開発した。(常光) |
セルロースアセテート膜専用の銀染色液キットの発売。尿や唾液、髄液、涙など蛋白量が低い試料を濃縮なしで検出可能(常光) | |
2004(平成16)年 | 大画面カラー液晶を採用し、より操作性やデータ処理能力を向上したCTE2800、CTE880を開発した。(常光) |